トウモロコシ
甥一家が裏に引っ越して来てから、 和尚畑の一部が甥のものになったようです。 子供が喜ぶようにと、スイカやトウモロコシを植えています。 そのスイカもトウモロコシも豊作で、 きょうはトウモロコシのスープを作りました。 実をこそいでタマネギと一緒に炒め、 ミキサーで撹拌して裏ごしし、牛乳と生クリームで味をととのえます。 北海道のトウモロコシに勝るとも劣らない美味しいスープが出来ました。
View Article坂出レストラン
きょうは和尚が友人を招いての 「盆業お疲れ会」をやりました。 みなさん食って飲むのが大好きな坊さんです。 まずはアミューズ。 和尚畑のミニトマトをジュレにしました。 瀬戸内鯛の昆布締めをカルパッチョに。 以下は略です。 例によって、12時近くまで楽しい宴が続きました。
View Article芝刈り
きょうは芝刈りをしました。 さすがに暑くて、休み休みしながら1時間ほどで完了です。 あまり伸びていませんでしたので、効率はよかったです。 その後、チドメグサを取り、肥料をやり、たっぷりの水をやって完成! 芝は本当に手がかかります。
View Article大阪芸大
きょうは大阪芸大の日でした。 前期はきょうで終了し、 9月の2週目まで夏休みです。 嬉しいですね。 きょうはお昼を学生に聞いた「ラウンジカレッジ」 という所でいただきました。 5年目にして初めて知った店です。 きれいだし、そこそこ。 これからしばらくはここにしようかと思っています。
View Article冷蔵庫
昨日夜遅くに東京に戻りました。 家に着いてリビングのドアーを開けるとなんか臭いのです。 動物の死んだような匂いです。 ソファーの下とか、カーテンの中とかを恐る恐るのぞいて見たのですが 何もありません。 冷静になると、どうやら台所の辺りから匂っている事に気づきました。 なんて事はない、冷蔵庫が壊れて冷凍庫の肉類が腐って 強烈な匂いを発していたのです。 しかし夜中の事とてどうすることもできません。...
View Article花魁
これは喜多川歌麿(宝暦3〜文化3・1753〜1806年)の浮世絵だ。 制作年は文化元(1804)年、タイトルは「青楼絵本年中行事」とある。 門松が見えるから正月の仲の町を描いたものだろう。 遊女屋は正月2日に遊女、禿(かむろ)に揃いの仕着せの小袖を与え、仲の町を道中したという。 右から2番目の遊女はオイラン(花魁)で、その隣にバンシンとあるのは 番頭新造という花魁のマネージャー役の古株をいう。...
View Article三太郎
これは喜多川歌麿(宝暦3〜文化3・1753〜1806年)の浮世絵 「太郎月三ツ組盃」、制作年は不詳だ。 右が金太郎で、三味線を弾いているのは山姥。 中は浦島太郎で、三味線を弾いているのは乙姫様か。 左は桃太郎だが、三味線を弾いている奇麗どころはなぜか芸者。 auの関係者が喜びそうな絵だこと。
View Article張り見世の絵
これは喜多川歌麿(宝暦3〜文化3・1753〜1806年)の浮世絵だ。 制作年は文化元(1804)年、タイトルは「倡舗張付彩工図」とある。 遊女屋の張り見世の壁画を書いている絵師は 歌麿自身といわれている、 火鉢に掛けたにかわの番をするのは、助手の子供。 花魁や禿が珍しそうに見物している。 この鳳凰の絵の前に座るのは二番手の遊女だ。 一番手は横座(上席)に座る。
View Article三番叟
これは喜多川歌麿(宝暦3〜文化3・1753〜1806年)の浮世絵 「風流子宝合」だ。 制作年は安永4〜文化3(1775〜1806)年とあるが、 髷の大きさを見ると文化初年頃だろう。 母親の弾く三味線に合わせてお兄ちゃんが弟に踊らせている。 烏帽子を被り、手には鈴と扇を持っている。 演目は三番叟だ。
View Article越後屋
これは喜多川歌麿(宝暦3〜文化3・1753〜1806年)の浮世絵 「夏衣裳当世美人」だ。 制作年は文化元〜3(1804〜06)年とある。 涼しげな小千谷ちぢみ。 襦袢の赤が艶かしく透けている。 「越後屋仕入れのちぢみ向き」とあり、 三井越後屋の紋を染め抜いた暖簾も描かれている。 創業者三井高利は「現金安売り掛け値無し、正札付きの店前売り」 という商法で大当たりした呉服屋だ。
View Article遊女
これは喜多川歌麿(宝暦3〜文化3・1753〜1806年)の浮世絵 「鶴屋内 まさち」だ。 制作年は文化2(1805)年とある。 遊女が手にしている三味線はちょっと小さくて胡弓のようにも見えるが、 中子先が短いので、やはり三味線か。
View Article芸者のお披露目
これは喜多川歌麿(宝暦3〜文化3・1753〜1806年)の浮世絵 「芸者披露目の図」だ。 制作年は文化元(1804)年とある。 大黒屋庄六が吉原に見番を開いたのは、安永8(1779)のことだから、 この絵で団扇を手に、羽織を着て挨拶している男は大黒屋だろう。 後に控える紋の付いた着物を着ているのが新人か。 姉さん芸者が5人ほど付き添っているが、夏とはいえ普段着っぽい着物だこと。
View Article新造出し
これは喜多川歌麿(宝暦3〜文化3・1753〜1806年)の浮世絵 「新造出しの図」 制作年は文化元〜3(1804〜06)年とある。 花魁の世話をする禿が14、5歳になると新造になるのだが、 初めて新造としてデビューすることを新造出しという。 この絵では4人の新造が同じ衣裳を着て歩いている。 4人同時のデビューだろうか。 仲の町を道中する新造の後には、遣り手・若い衆・姉女郎・禿が続く。...
View Article猿廻し
これは喜多川歌麿(宝暦3〜文化3・1753〜1806年)の浮世絵だ。 制作年は天明9(1789)年とある。 猿廻しの伴奏に太鼓と三味線、みな羽織りを付けているところを見ると、 よほど高貴なお方の屋敷なのだろう。 左の紗のかかった屏風の中で観ているのがこの家の奥方だろうか。
View Article遊興の図
これは鳥居清長(宝暦2〜文化12・1752〜1815年) の浮世絵「当世遊里美人合」だ。 制作年は天明3〜4(1783〜84)年とある。 庭のある部屋ということは、吉原ではない、どこかの岡場所だろう。 寝間着と思しきし遊女のそばで、床に入ったまま煙管をくゆらす客。 盆には食べ物と酒があり、芸者が三味線を持っている。 左に立っている芸者もこれから三味線を弾くのだろうか。...
View Article踊り屋台
これは鳥居清長(宝暦2〜文化12・1752〜1815年) の浮世絵「山王御祭礼」だ。 制作年は安永9(1780)年とある。 山王様の踊り屋台で三味線を弾くのは麹町の芸者らしい。 ちょうどこの頃町芸者が流行り出した頃で、皆まだうぶな感じがする。 演目は「隅田川名所」。日吉丸という屋形船を象った屋台だ。
View Article舞台
これは鳥居清長(宝暦2〜文化12・1752〜1815年) の浮世絵だ。 制作年は不詳で、タイトルは「艶雍垣根雪」とある。 芝居の一コマで、見台を見るとどうやら長唄のようだ。 唄うたいが裃を付けているのに、三味線弾きが羽織りを着ているのが面白い。
View Article芸者
これは鳥居清長(宝暦2〜文化12・1752〜1815年) の浮世絵だ。 制作年は天明3(1783)年。タイトルは「当世遊里美人合 父江原」とある。 三味線の調子を合わせているのは中洲の芸者だ。 大川の中洲を埋め立てて富永町という新地ができたのは1772年だ。 料理屋が立ち並び芸者が活気づいた時代だ。 横に居る煙管を持った若い男は何だろう。 羽織りがたたんで置いてある。
View Article芝居
これは鳥居清長(宝暦2〜文化12・1752〜1815年) の浮世絵だ。 制作年は天明8(1788)年。タイトルは「偲ぶ恋柳の桂男」とある。 役者は市川団十郎(5)。 山台に乗っているのは富本の地方だ。 三味線は名見崎徳治。浄瑠璃は富本豊前太夫(2)と斎宮太夫(いつきたゆう)とある。 富本はこの頃が全盛で、2代目斎宮太夫が清元節を興すと 人気を失い消滅してしまうのだ。
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