梅幸会
梅幸会 平成24年(2012)の現在、実に創設以来1世紀以上、 110年もの歳月を経てなお研精会は健在だ。 ただし、小三郎も六三郎もすでに孫の代ではあるが。 研精会は見事に歌舞伎からの独立をはたし、 長唄を演奏会音楽として定着させることに成功した。 こうなると女性の長唄人も、演奏家として活躍の場ができてくる。 その初めは稀音家浄観の娘幸(こう)と、小三郎の弟子小梅が...
View Article7世芳村伊十郎 その1
7世芳村伊十郎 その1 昭和28年(1953)、NHKがテレビ放送を開始。 日本のエンターテイメントは一気に茶の間へとなびく。 長唄の演奏や歌舞伎なども、居ながらにして楽しむことができるのだ。 時代は変わる。 この頃一世を風靡していたのが、芳村伊十郎(7世)。 NHKの録音はいうに及ばず、日本コロムビアからも数多のレコードを出している。 合三味線は杵屋栄蔵(3世)・山田抄太郎・今藤長十郎(3世)...
View Article稀音家幸
稀音家幸 幸はいわゆる女流長唄演奏家の魁たる人物だ。 自らが率いる一門の女流演奏会「稀音会」では絶対君主的な存在で君臨。 父稀音家浄観(2世)の愛弟子、六治(山田抄太郎)との間にもうけた娘が 現在女流長唄の最高峰、稀音家康(きねややす)。 康は平成23年(2011)に稀音家から分派し、貴音流を創設。 貴音康(きおんやす)と改名した。 名跡をめぐっての騒動は名家の常だ。 〓 〓 〓 tea...
View Article7世芳村伊十郎 その2
7世芳村伊十郎 その2 昭和39年(1964)にコロムビアから発売になった 「芳村伊十郎長唄大全集」は、 伊十郎長唄の総集編ともいうべきもので、 舞踊の地として日本全国の舞踊家の元に行き渡った。 伊十郎は昭和48年(1973)に73歳で亡くなったが、 その後に輩出した名人たちを差しおいて、 未だに名前が色あせないのは、 芸や風貌もさることながら、 やはり出回っている圧倒的なレコードの枚数だろう。...
View Article「長唄清和会」
「長唄清和会」 今藤長十郎(3世)には娘が3人おり、姉の綾子、その娘文子と、 身内には女性が多い。 綾子は父(2世長十郎)に手ほどきを受け、 14歳から父の代稽古をするほどの才女。 5歳上の稀音家幸と相通じる境遇だ。 幸が一門の「稀音会」を主催し、演奏家としても活躍するのとは裏腹に、 綾子は古来の常として、弟子の稽古を専らとする。 長十郎は伊十郎と相談し、超党派の女流長唄演奏会を発案。...
View Article長唄清和会 その2
長唄清和会 その2 長唄清和会は年2回開催され、各流派から一門の女性若手が呼ばれ、 助演という形で舞台に乗った。 稽古では会得できない、いわゆる演奏という勉強をするのだ。 音楽は生き物だから、現場で何が起こるかわからない。 しかも長唄は大勢の人間が横一列に並んで、 タテの息に合わせて一つ曲を完成させるという、集団芸術だ。 ワキの役割、三枚目の役割、トメの役割と、...
View Article雪だ!
うるう日の今日、東京はなんとしたことか、大雪! 深夜からの雪がしんしんと降り止まず、 朝起きたらこのとおり! 久しぶりにこんな元気な雪を見ました。 今日はちょっと買い物に出なきゃいけなかったのですが、 数年振りに雪靴の出番となりました。 アザラシの毛皮の付いた、エスキモーの靴です。 かなり前に買ったものですが、気に入ってていまだにはいています。 外に出ると、道には数センチの雪が!...
View Article長唄「繭の会」
長唄「繭の会」 長唄「清和会」は、会員の増補をしながらも51年間継続され、 平成17年(2005)104回記念公演で閉会となった。 当時の会員は、昨年(2011)9月29日の、今藤文子を最後に、 皆物故されてしまった。 長唄「繭の会」は芳村伊十衛・今藤美知・杵屋静子・東音伊勢弥生ら 6名の会員により始まったが、 途中メンバーの入れ替わりを経て43年、現在も継続されている。...
View Article女流長唄
女流長唄 戦後女性は強くなったといわれるが、長唄の世界も然りだ。 それまでは舞台に立つのは男、稽古は女、 という役割に疑問を持たず徹してきた。 ところが「稀音会」が先鞭をつけた形の女流演奏会が 長唄社会に意識改革を促した。 もちろん「稀音会」は幸の父、浄観が命じたのだろうし、 「清和会」も伊十郎と長十郎が提案したものだ。 まだまだ男の後ろ盾がなくては動けぬ時代だ。 〓 〓 〓 tea break...
View Article「繭の会」その2
「繭の会」その2 ところが「繭の会」は違った。 仕事で沖縄に行く船の中で、勉強会の話がまとまったのだという。 自発的に発案し、おのおのが師匠に了解をとったのだ。 「繭の会」の発足は昭和44年、時まさに1960年代後半。 アメリカで始まったウーマン・リブ、 女性開放運動の波が日本に上陸した頃だ。 “繭の会のお父さん”と言われている芳村伊十衛などは、...
View Article可愛い!トリオ
今日は白井さん一家が見えました。 もちろん、おばあちゃまの稽古の付き添い?ですが。 お馴染みのスター、さゆちゃん。 今日もなんてかわいいお洋服なんでしょう! そして、さゆちゃんに妹ができました。 ゆなちゃん、1ヶ月です。 お目目が大きくて、お姉ちゃんと同じ顔! そしてそして、息子さんのペット。 3歳のヨークシャーテリア、ラブちゃん!...
View Article「繭の会」その3
「繭の会」その3 私が大学2年生の時(昭和44年・1969)だった。 当時九段下にあった日刊工業新聞社7階のホールで、 第一回「繭の会」が開催されたのは。 斯界の先輩たちが、黒紋付で入り口付近に立たれていた姿が、 とても眩しかったことを覚えている。 満席の会場には、 芳村伊十郎(7世・伊十衛の師)・杵屋五三郎(当時五三助・静子の師)...
View ArticleGUAMその1
久しぶりに、GUAMで泳いできました。 寒い日本から、いきなり南国です! 8階の部屋から朝起きてカーテンを開けると、目の前が、 ワンダフル オーシャンビュー! なんてきれいなんでしょう、海の色が。 右の方に目をやると、チャモロ伝説の恋人岬が見えます。 このホテルは、 タモン湾に面した、FIESUTA LESORT GUAM. 左の陽気なおばさんは遊び仲間、68才です。...
View ArticleGUAM その2
3.11に黙祷… さて、観光ではお定まりのショッピング。 まずは赤いタモンシャトルのバスに乗って、DFSへ。 隣のJPストアーで、知ってる人は知っている、 ポール・フランクの店を発見。 お土産に買ったのが、これ。トレードマークのジュリアス君。 中にはバナナミントが入っています。 かわいい!...
View ArticleGUAM その3
旅の一番の楽しみは、なんといってもお食事! ミクロネシアダンスを観ながらのバーベキュー、 というのはいかにも定番なので、今回はパス。 代わりにグアムで評判のレストランPROAへ。 この店は予約をしても取れないとかで、待たされるのを覚悟で 6時に行って、40分待ちでした。 私たちの後からも、どんどんお客が来て、1時間待ちはざらみたいでした。 地元人や、白人なども馴れた感じで待っていました。...
View Article女性人間国宝
女性人間国宝 「繭の会」のメンバーは、昭和長唄界を風靡した いずれ劣らぬ名人上手の教えを受けた筋金入りばかりだ。 「繭の会」の動きに刺激を受けた女性たちによる、 小さな勉強会も続出したし、今までは男性中心だった舞踊の地にも 「繭の会」同様、女性グループが進出した。 折しも「男女雇用機会均等法」(昭和47年・1972)が 制定・施行された年と重なる。 そして国連で採択(昭和54年・1979年)された...
View Article芸の伝承
芸の伝承 私も今藤綾子師の恩恵にあやかり、お二人の国宝の会には 毎回出させていただいた。 NHK-TVのお正月番組も綾子・佐登代はレギュラーで、 亡くなるまで毎年放送されたものだ。 杵屋佐登代が平成9年(1997)に、今藤綾子が平成15年(2003)に亡くなってからは、 貴音康(稀音家康改め)と、今藤文子が両巨頭に繰り上がったが、 今藤文子も今は亡く、前時代長唄の心髄を伝える人はもういない。...
View Article長唄を作った人たち
「長唄を作った人たち」、379編になりました。 一年以上続いたということですよね! 文字数は約10万字。400字の原稿用紙で250枚になります。 よくぞ書いたと、我ながら感心していますが、 そろそろ終わりかなと思っています。 次に何を書こうかと思案中です。 GUAMのホテルにいた牛ちゃん。
View Article泣けます長唄
日本人って"なにわぶし的心”が好きですよね。 これって、やっぱり日本人の真のアイデンティティじゃないのだろうか。 ということで、長唄の中から、お涙頂戴といった部分を探し出し、 日本人の心をのぞいてみようと思います。 題して「泣けます長唄」。 近日開幕です。 この変な魚、GUAMの水族館にいました。 和尚さん、失礼! photo by 西園寺
View Article