「繭の会」その3
私が大学2年生の時(昭和44年・1969)だった。
当時九段下にあった日刊工業新聞社7階のホールで、
第一回「繭の会」が開催されたのは。
斯界の先輩たちが、黒紋付で入り口付近に立たれていた姿が、
とても眩しかったことを覚えている。
満席の会場には、
芳村伊十郎(7世・伊十衛の師)・杵屋五三郎(当時五三助・静子の師)
日吉小三八(小暎の師)・杵屋佐登代(佐臣の師)・今藤綾子(美知の師)
菊岡裕晃(伊勢弥生の師)などなど、長唄界重鎮の姿があり、
はれがましい緊張感が漂っていた。
伊十郎はすでに人間国宝だったが、
菊岡を除く他の方々も後にみな
国宝の認定を受けることになるのだから。
〓 〓 〓
tea break
photo by 和尚
![]()
私が大学2年生の時(昭和44年・1969)だった。
当時九段下にあった日刊工業新聞社7階のホールで、
第一回「繭の会」が開催されたのは。
斯界の先輩たちが、黒紋付で入り口付近に立たれていた姿が、
とても眩しかったことを覚えている。
満席の会場には、
芳村伊十郎(7世・伊十衛の師)・杵屋五三郎(当時五三助・静子の師)
日吉小三八(小暎の師)・杵屋佐登代(佐臣の師)・今藤綾子(美知の師)
菊岡裕晃(伊勢弥生の師)などなど、長唄界重鎮の姿があり、
はれがましい緊張感が漂っていた。
伊十郎はすでに人間国宝だったが、
菊岡を除く他の方々も後にみな
国宝の認定を受けることになるのだから。
〓 〓 〓
tea break
photo by 和尚
