「石橋」−1
菊之丞の「相生獅子」は、本行(能)の「石橋」をぐっと解釈替えしたものだが、
本行がどんなものかを知らないことには、どう違えたのかも分からない。
まずはきちんとした「石橋」の歌詞を知っておく必要があるだろう。
のちに(相生獅子から約100年後の1830年)に杵屋六左衛門(10代目)が
外記節に残る「石橋」を復元したものが、
いわゆる正統といわれる、以下に記す「石橋」だ。
寂昭法師が唐に渡り、清涼山の石橋を渡ろうとやって来る。
ここは能の名のりにあたる部分。
『是は大江の定基出家し 寂昭法師にて候
我 入唐渡天の望み候て 波濤を越え
是は早 石橋にて候
向かいは文殊の浄土 清涼山にて候程に
此の辺りに休らい 橋を渡らばやと
思い候』
〓 〓 〓
菊之丞の「相生獅子」は、本行(能)の「石橋」をぐっと解釈替えしたものだが、
本行がどんなものかを知らないことには、どう違えたのかも分からない。
まずはきちんとした「石橋」の歌詞を知っておく必要があるだろう。
のちに(相生獅子から約100年後の1830年)に杵屋六左衛門(10代目)が
外記節に残る「石橋」を復元したものが、
いわゆる正統といわれる、以下に記す「石橋」だ。
寂昭法師が唐に渡り、清涼山の石橋を渡ろうとやって来る。
ここは能の名のりにあたる部分。
『是は大江の定基出家し 寂昭法師にて候
我 入唐渡天の望み候て 波濤を越え
是は早 石橋にて候
向かいは文殊の浄土 清涼山にて候程に
此の辺りに休らい 橋を渡らばやと
思い候』
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