菊弥−1
左褄の話をもう少し。
なぜ芸者が左褄を取るようになったか?
これは遊女の職を侵さないためのサインとしたからだろうと思う。
芸者代一号は、芳町(岡場所)の菊弥といわれている。
菊弥があまりにも評判が良かったため、陰間(男芸者のようなもの)の反感を買い
芳町から追い出された。
菊弥は深川(ここも岡場所)八幡前に移り、料理茶屋を開いた(1700年頃)。
深川は江戸城から見て辰巳の方角にあるから、辰巳ともいう。
鰻や牡蠣、蛤などの料理も人気だが、美人で三味線もうまく、座持ちがいいとあって
不便な場所にもかかわらず、客がわざわざ来るようになり菊弥の店は大評判となった。
これは国貞の「辰巳十二時」の一枚、午刻の絵だ。
辰巳芸者が支度をしているところ。
小窓に箱屋が見えるから、これからお座敷に出るのだろう。
二人の女とも左褄を取っている。
夜の午刻とは思えないので、昼の12時から芸者をあげての宴会か…
昔はいい時間が流れていたようだ。
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左褄の話をもう少し。
なぜ芸者が左褄を取るようになったか?
これは遊女の職を侵さないためのサインとしたからだろうと思う。
芸者代一号は、芳町(岡場所)の菊弥といわれている。
菊弥があまりにも評判が良かったため、陰間(男芸者のようなもの)の反感を買い
芳町から追い出された。
菊弥は深川(ここも岡場所)八幡前に移り、料理茶屋を開いた(1700年頃)。
深川は江戸城から見て辰巳の方角にあるから、辰巳ともいう。
鰻や牡蠣、蛤などの料理も人気だが、美人で三味線もうまく、座持ちがいいとあって
不便な場所にもかかわらず、客がわざわざ来るようになり菊弥の店は大評判となった。
これは国貞の「辰巳十二時」の一枚、午刻の絵だ。
辰巳芸者が支度をしているところ。
小窓に箱屋が見えるから、これからお座敷に出るのだろう。
二人の女とも左褄を取っている。
夜の午刻とは思えないので、昼の12時から芸者をあげての宴会か…
昔はいい時間が流れていたようだ。
