$ 0 0 菊弥−2 菊弥は店の傍ら、三味線の師匠をして、芸者の育成に励んだ。 菊弥の店の回りには次々と料理茶屋が増えていき、 八幡前は門前仲町という繁華街になった。 芸者もどんどん増え、もともといた女郎と区別するために 芸は売っても体は売らない、という左褄なるサインを考えたのだろう。 浄瑠璃太夫が遊びに来るようになると。彼らの羽織っている羽織りを 面白がって着る芸者も出るようになり (当時は羽織りは男専用のものだった)、 羽織り芸者とも呼ばれるようになった。 それの最初も菊弥といわれている。