$ 0 0 坂出のパソコンを買い替えました。 MacBook Airにしようかと思っていたのですが、 機能の点で、MacBook Proにしました。 13インチで、以前使っていたI Bookと同じサイズです。 マウスはなくても使えるのですが、親パソコンと同じのにしました。 マウスの方が使いやすいのです。 中身をそっくり移して、セキュリティーを入れて、 3時間ほどで使える状態になりました。 これで数年は安心です。
$ 0 0 きょうは暖かでしたね。 わたしは久しぶりに副都心線に乗りました。 東横線乗り入れになってから初めてでしたので、 あまりの混雑振りにびっくりしてしまいました。 もっとも子供の日ということもあったのでしょうが、 渋谷の人の多さに驚きでした。 東急デパートは閉館していて工場中ですし、地上に出る出口も」変わっていました。 世の中目まぐるしく変わっていきますね。 郁子さんちのピクルスちゃん、こんなに大きくなりました。 もうすっかり大人です。 ピクルスは私のことが嫌いらしくて、全く抱かしてくれません。 ここまで近寄るのに大変な騒ぎでした。
$ 0 0 門付けの女太夫の浮世絵。 安政4(1857)年、豊国筆の「江戸名所百人美女」の一枚です。 女太夫は毎年正月になるとやってくる門付け芸人のことで、 鳥追いともいう。 しかし、厳密にいえば鳥追いと、女太夫は違う。 正月から20日までは編み笠の鳥追い笠を被って、正統の鳥追い唄をやり、 翌日からは笠を絵のような、菅笠の褄折笠に変えて、浄瑠璃や小歌などの芸で門付をする。 これは江戸だけのご当地商売だが、 同じ人間が20日を境に笠を替えて、芸種を替えるというのも面白い。
$ 0 0 こちらは編み笠の鳥追い。 作者も制作年も、前日の女太夫と同じ、豊国。 わらで編んだ編み笠を被っている。 小窓に赤羽根水天宮とあるが、 これは三田の久留米藩上屋敷内にあった水天宮のこと。 9大藩主、有馬頼徳(よりのり)が久留米の自邸にある社殿から分霊したのだとか。 すると、塀越しにお賽銭を投げ入れる人が後をたたなくなり、毎月五の日には門戸を解放したのだそうだ。 櫓のような高い塔は、頼徳の父頼貴(よりたか)が大名火消しに任ぜられて 組んだ日本一高い(3丈・約9メートル)火の見櫓だ。 「情けありまの水天宮」、「湯も水も火の見も有馬の名が高し」 とうたわれるほど、有馬上屋敷は江戸の名所だったようだ。 水天宮は明治4(1871)年の廃藩置県により青山の中屋敷に移され、 翌年日本橋蠣殻町の下屋敷に移され、現在に至っているという。 御際神は、源平合戦で8歳にして海に沈んだ安徳天皇。
$ 0 0 これは安政4(1857)年、豊国筆の「江戸名所百人美女」の一。 「囲い者」とある。 芸者か女郎を請出して妾にしたのだろう。 爪弾きで三味線を弾いているところをみると、小唄の稽古か。 昔は指掛けなるものは無かったようだ。 今でも指掛けをしない古老もいるようだ。
$ 0 0 これは安政4(1857)年、 豊国筆の「江戸名所百人美女」のうちの「酔態の町女房」。 花見に行ってのご酩酊らしい。 しかし陽気な女房だ。 花の下であちこちから三味線の音が聞こえるというのも いいなあ。 再現してみたいシーンだと思いませんか。
$ 0 0 きょうは繭の会の練習がありました。 今回出演者全員で「女夫万歳」演らせていただきます。 これはほとんどの方が初めてなさる曲でして、それぞれに大変でございました。 練習のあと約束があって、西麻布のさる食べ物屋さんへ行ったのですが われわれのテーブルがテレビ朝日のスーパーJチャンネルの取材を受けちゃいました。 面白がってしゃべってしまいましたが、はたしてどんな編集になるのでしょうか。 20日に出る予定だそうです。 お弟子さんが持って来てくれたお花とりどり。 可愛いですよね。
$ 0 0 きょうは、どしゃぶりの雨でしたね。 この雨の中、着物を着て仕事に行ってきました。 西麻布にあるフラットハウスという、 小さなイベントホールで郁子さんのお月浚いがあったのです。 雨にもかかわらず、お客さまも一杯見えて、大盛況でした。 楽屋にあったぬいぐるみの人形たち。 あまりにも可愛かったので撮ってみました。
$ 0 0 きょうはいいお天気でしたね。 うちはお稽古日でした。 久しぶりに白井さんのご家族がパックで見えました。 可愛いお孫さん、さゆちゃんと、ゆなちゃん。 そのパパ、ママ、そしてご主人です。 お姉ちゃんのさゆちゃんは、車の中で寝ちゃって じいじに抱かれたまま、マミー(ばあば)のお稽古が終わるまで起きませんでしたが、 三味線の音が鳴り止むと同寺にお目覚めでした。 寝起きでもごきげんです。かわいい! 妹のゆなちゃん、マミーの手ぬぐいを頭に巻いて。かわいい! いつもお揃いのお洋服です。二人で並んで、めっちゃ可愛い! こんなに可愛い子がそばにいたら、たまりませんね。
$ 0 0 安政4(1857)年、豊国筆の「「江戸名所百人美女」のうち、「義太夫の女師匠」です。 この絵を見る限り、まだ三味線が大きくなっているとは思えませんね。 ばちも長唄と変わらないようですし、 この時代はまだ太棹完成に至ってなかったのでしょう。 窓の中は妻恋稲荷。
$ 0 0 きょうは繭の会の2度目の練習がありました。 今回は出演者全員で「女夫万歳」を演ります。 この曲は杵屋正陸という人の作曲で、時代は不詳ですが、 正の字のつくところをみると、正次郎の門弟でしょう。 恐らくは演奏用に作られた曲でしょうから、2世正次郎没後(1820・文政3年) の作だと思う。 2世には跡継ぎがなく、門弟の正三郎が名前をあずかり、 1855(安政2)年に正三郎の息子が彦次郎(2世)を経て、 3世正次郎を襲名するまでの約30年の間に作られたのではないかと思う。 家元不在、彦次郎若造という空白期に門弟の正陸が作ったのが残ったのだろう。 正陸作の曲はこの曲だけで、綾子先生が伝承していたものだ。 私は今回で3回目です。 お弟子さんが持って来てくれました。 俗にブラシツリーといわれるもの。面白い花ですよね。
$ 0 0 明治29(1896)年、梅素薫の「東京自慢名物会」のうち、 よし町よろづ家の芸者、小六です。 結構しどけない着物の着方ですよね。 この時代の人は指掛けをしていません。 胴掛けもしていないようですけれど、大丈夫なのかしら。 ばちの持ち方もめちゃくちゃ。 絵師の描写が悪いのか、小六が初心者なのか。
$ 0 0 きょうはお昼から繭の会の下浚いが、青山高樹町の家元宅でありました。 杵屋静子氏と、芳村伊十衛氏で「忍び車」 今藤長十郎氏と杵屋佐臣氏で「春秋」 今藤未知氏と日吉小暎氏で「綱館」 そして全員での「女夫万歳」 以上の4曲です。 これは「綱館」を演っているところ。みなさん真剣なお顔です。終わる寸前にパチリ。 三味線は手前から、杵屋勝如、日吉小左都、杵屋三澄、杵屋六多之、日吉小暎氏。
$ 0 0 きょうは2時から三越劇場で第72回「繭の会」がありました。 すごいですよね、72回ですよ! お姉様方のパワーには圧倒されてしまいます。 「綱館」の幕開き前です。 手前から芳村伊四絽、今藤政子、稀音家六紗代、杵屋秀子、今藤美知氏。 お茶飲み場のモニター前で、長十郎家元をパチリ。 ちょっとぶれちゃいました、失礼。
$ 0 0 安政元(1854)年、豊国筆「江戸の富士十景之内」の向島。 女太夫が向島でちょっと休憩、煙草を飲んでいる図ですね。 三味線がずいぶん無防備ですが、こんなものだったのでしょね。 門付の三味線は。 皮は当然犬ですね。