これは磯田湖龍斎の浮世絵
「雛形若葉の初模様」だ。
湖龍斎は鈴木春信の後に続く絵師で、1735(享保20)年に生まれた。
四つ目屋の遊女かほるが爪を付けて、箏を弾く準備をしている。
三味線を持っているのは振袖新造のしげのだ。
しげのの弾く三味線は「地歌」とよばれるもので、
長唄以前から検校の音楽として発達してきた室内楽だ。
恐らく上方の芝居歌か何かを弾くのだろう。
振袖新造とは
禿を終えた18歳未満の遊女見習いの女で、姉女郎について廓の手練手管を習う。
振袖を着ているところから振袖新造と呼ばれるが、18を過ぎると振袖から留袖となり、
留袖新造とよばれるようになる。
一本立ちできないまま古株になると番頭新造よばれ、
今度は若い女郎に手練手管を教える立場となる。
後に(宝暦13・1763年頃)扇屋の新造かせんが遊女に見切りをつけ、
花扇という源氏名で芸者家業を始めるのだが、花扇が吉原芸者の第一号となる。
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「雛形若葉の初模様」だ。
湖龍斎は鈴木春信の後に続く絵師で、1735(享保20)年に生まれた。
四つ目屋の遊女かほるが爪を付けて、箏を弾く準備をしている。
三味線を持っているのは振袖新造のしげのだ。
しげのの弾く三味線は「地歌」とよばれるもので、
長唄以前から検校の音楽として発達してきた室内楽だ。
恐らく上方の芝居歌か何かを弾くのだろう。
振袖新造とは
禿を終えた18歳未満の遊女見習いの女で、姉女郎について廓の手練手管を習う。
振袖を着ているところから振袖新造と呼ばれるが、18を過ぎると振袖から留袖となり、
留袖新造とよばれるようになる。
一本立ちできないまま古株になると番頭新造よばれ、
今度は若い女郎に手練手管を教える立場となる。
後に(宝暦13・1763年頃)扇屋の新造かせんが遊女に見切りをつけ、
花扇という源氏名で芸者家業を始めるのだが、花扇が吉原芸者の第一号となる。
