これは2代目国貞作の「浄瑠璃忠臣蔵・七段目」だ。
狂言そのものは河竹黙阿弥の『忠臣蔵形容画合』(ちゅうしんぐらすがたのえあわせ)で、
慶応元年(1865)市村座の5月興行で出された所作事だ。
この場面は七段目「祇園一力」の場で、お軽と平右衛門が人形振りで踊ったそうだ。
お軽は沢村訥升、平右衛門は坂東彦三郎。
山台の様子がおかしいな、と思ったら
義太夫三味線は市川新車、
浄瑠璃太夫は坂東三津五郎と市村家橘と書いてある。
つまり地方も役者が勤めるという洒落だ。
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狂言そのものは河竹黙阿弥の『忠臣蔵形容画合』(ちゅうしんぐらすがたのえあわせ)で、
慶応元年(1865)市村座の5月興行で出された所作事だ。
この場面は七段目「祇園一力」の場で、お軽と平右衛門が人形振りで踊ったそうだ。
お軽は沢村訥升、平右衛門は坂東彦三郎。
山台の様子がおかしいな、と思ったら
義太夫三味線は市川新車、
浄瑠璃太夫は坂東三津五郎と市村家橘と書いてある。
つまり地方も役者が勤めるという洒落だ。
