これは「太夫と素見」と題した春信の浮世絵だ。
素見とはただ見るだけのひやかし客をいう。
見世の格子の太いことと、出窓のように格子が一段高くなっているところからすると
これは太夫職が消滅する以前の吉原を描いたものだろう。
だいたい安永の始め頃(1771年)には太夫はいなくなり、花魁の時代になる。
春信は1770年に40半ばで没しているから、最晩年の作かもしれない。
張り店で新造が三味線を弾くというのも次第になくなり、
開店の合図に新造(後に芸者)が弾く「見世清掻」(みせすががき)に取って代わる。
素見とはただ見るだけのひやかし客をいう。
見世の格子の太いことと、出窓のように格子が一段高くなっているところからすると
これは太夫職が消滅する以前の吉原を描いたものだろう。
だいたい安永の始め頃(1771年)には太夫はいなくなり、花魁の時代になる。
春信は1770年に40半ばで没しているから、最晩年の作かもしれない。
張り店で新造が三味線を弾くというのも次第になくなり、
開店の合図に新造(後に芸者)が弾く「見世清掻」(みせすががき)に取って代わる。
