$ 0 0 三味線を入れる箱の話をもう少し。 これは安政5年(1858)に豊国が描いた、よし町の芸者だ。 後ろの風呂敷が三味線で、「箱屋」という男衆が運んだ。 これは延べ棹といって折りたためない三味線をいれたもので、 当初は吉原芸者にしか許されないものだった。 だから柳橋とか、深川の芸者は二つ折りとか、三つ折りを風呂敷に包んで持ち歩いたのだとか。 この絵が描かれたのは天保の改革以後で、 深川の岡場所が取り潰されたあとだから、 新興のよし町にはそんなうるさい事も通じなかったのだろう。