新吉原は土手から遊廓が見えないようにカーブした坂道の先に造られました。
土手八丁から吉原への入り口に結界として植えられた柳(これを見返り柳という)を左に降りると、
衣紋坂といわれるなだらかな坂道に続きます。
客が衣紋を整えたからその名があるといわれています。
衣紋坂はそのまま蛇行して五十間道に続き、大門口に辿り着くというアプローチです。
この絵はちょうど土手八丁を降りた見返り柳の辺りでしょうか。
絵には「大門坂」と書かれています。
右の客は幇間を連れて、これから乗り込みでしょう。
真ん中の二人は呉服屋です。天秤棒には生地のサンプルが下げられています。
吉原に営業でしょう。
編み笠を被り奴を連れているのは帰る客で、茶屋の主人が揉み手でお見送りをしているようです。
乞食の親子が物乞いをしているのが、なんとも場違いで切ないですね。
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奥村政信(貞享〜宝暦14・1686~1764年)・制作年不詳
土手八丁から吉原への入り口に結界として植えられた柳(これを見返り柳という)を左に降りると、
衣紋坂といわれるなだらかな坂道に続きます。
客が衣紋を整えたからその名があるといわれています。
衣紋坂はそのまま蛇行して五十間道に続き、大門口に辿り着くというアプローチです。
この絵はちょうど土手八丁を降りた見返り柳の辺りでしょうか。
絵には「大門坂」と書かれています。
右の客は幇間を連れて、これから乗り込みでしょう。
真ん中の二人は呉服屋です。天秤棒には生地のサンプルが下げられています。
吉原に営業でしょう。
編み笠を被り奴を連れているのは帰る客で、茶屋の主人が揉み手でお見送りをしているようです。
乞食の親子が物乞いをしているのが、なんとも場違いで切ないですね。

奥村政信(貞享〜宝暦14・1686~1764年)・制作年不詳