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Channel: 西園寺由利の長唄って何だ!
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初期の新吉原・酒宴の座敷

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吉原に芸者が発生したのは宝暦10(1760)年です。
約20年ほど後に、斡旋業の見番(検番)ができました。

芸者が発生するまでは当然遊女や新造(姐さん女郎の下に就く女郎)が芸をしましたし、
客が自前で芸人や幇間(ほうかん・太鼓持ち)を連れて繰り出すのが当たり前でした。
もっとも幇間が職業になるのは元禄(1688〜1704年)の頃ですので、
それまでは場を盛り上げるのが上手な素人です。

絵師の英一蝶(1652〜1724年)は小歌・三味線・茶の湯・俳諧と何でもこなし、
そのうえ座持ちがいいときているので、紀伊国屋文左衛門(1669〜1734年)などに重宝され、
よく吉原に遊んだといいます。



この絵は菱川師宣(元和4〜元禄7・1618〜1694年)が描いたもので、
延宝8(1680)年の作です。
揚屋での酒宴でしょうか。
黒羽織を着ている坊主頭の人が幇間で、
三味線と鼓の男は自前調達の芸人、恐らく歌舞伎の囃子方でしょう。

三味線を弾いている女と、踊っている女は新造で、中央で遊女に寄り添っている男が
メインの客というところでしょうか。
まだまだ素朴な宴会です。
    

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