これは奥村利信(生没年不詳・江戸初期に活躍)の役者絵だ。
制作年は享保16(1732)年とある。
瀬川菊之丞の八百屋お七と、三条勘太郎の小姓吉三郎だ。
右上に「松竹梅根元曾我」の字が見えるから、
市村座の初春狂言での吉例曽我物だろう。
八百屋お七と曾我物が合体した趣向だったのだろうか、
地は今をときめく宮古路豊後だ。
豊後はこの興行を終えると、4月から名古屋に入る。
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制作年は享保16(1732)年とある。
瀬川菊之丞の八百屋お七と、三条勘太郎の小姓吉三郎だ。
右上に「松竹梅根元曾我」の字が見えるから、
市村座の初春狂言での吉例曽我物だろう。
八百屋お七と曾我物が合体した趣向だったのだろうか、
地は今をときめく宮古路豊後だ。
豊後はこの興行を終えると、4月から名古屋に入る。
