三味線ラジオ講座
大阪の「三味線女塾」開設から2年ほど経った昭和5年(1931)1月、
町田はまず、文化譜を使った三味線ラジオ講座の前段階として、
「家庭講座」と題する番組を作った。
ここでは三味線音楽についてや、稽古の仕方を解説する。
そして8月、いよいよヨウが講師となって
「家庭講座・三味線手ほどき」が始まった。
ラジオ講座用に手ほどきのテキストも発行。
翌年には「家庭講座・三味線のお稽古」が始まる。
ラジオから流れる講師の指導に従って、
文化譜を見ながら三味線を稽古する。
一人の講師で、不特定多数の人間を同時に教えることができるとは、
究極の効率のよさではないか。
ヨウが文化譜を完成させ、大阪での販売、三味線講習が軌道に乗った頃、
ラジオ放送が始まり、ヨウと深い関わりのある町田が
東京放送局の邦楽担当に着任した。
何という絶妙なタイミングだろう。
〓 〓 〓
tea break・海中百景
photo by 和尚
大阪の「三味線女塾」開設から2年ほど経った昭和5年(1931)1月、
町田はまず、文化譜を使った三味線ラジオ講座の前段階として、
「家庭講座」と題する番組を作った。
ここでは三味線音楽についてや、稽古の仕方を解説する。
そして8月、いよいよヨウが講師となって
「家庭講座・三味線手ほどき」が始まった。
ラジオ講座用に手ほどきのテキストも発行。
翌年には「家庭講座・三味線のお稽古」が始まる。
ラジオから流れる講師の指導に従って、
文化譜を見ながら三味線を稽古する。
一人の講師で、不特定多数の人間を同時に教えることができるとは、
究極の効率のよさではないか。
ヨウが文化譜を完成させ、大阪での販売、三味線講習が軌道に乗った頃、
ラジオ放送が始まり、ヨウと深い関わりのある町田が
東京放送局の邦楽担当に着任した。
何という絶妙なタイミングだろう。
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tea break・海中百景
photo by 和尚
