徳川家康の家臣、水野勝成は京で人気絶頂の
女かぶきの出来島隼人(できじま・はやと)を請出し(慶長12・1607年10月)、
翌年家康の本拠地である駿府で、出来島隼人一座によるかぶきを打った。
恐らくは得意満面だったのだろうが、
群衆の偏狂ぶりをみて家康はこれを淫佚(いんいつ・男女関係のみだらのこと)
であるとして、駿府から追放した。
水野は何を思ったかすぐさま上洛し、
勧進法楽(神仏へ芸能などを奉納すること)と銘打って出来島隼人の女かぶきを打った。
京中の老若男女が見物に殺到したというほどの評判だったという。
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photo by 和尚
女かぶきの出来島隼人(できじま・はやと)を請出し(慶長12・1607年10月)、
翌年家康の本拠地である駿府で、出来島隼人一座によるかぶきを打った。
恐らくは得意満面だったのだろうが、
群衆の偏狂ぶりをみて家康はこれを淫佚(いんいつ・男女関係のみだらのこと)
であるとして、駿府から追放した。
水野は何を思ったかすぐさま上洛し、
勧進法楽(神仏へ芸能などを奉納すること)と銘打って出来島隼人の女かぶきを打った。
京中の老若男女が見物に殺到したというほどの評判だったという。
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