東京音楽学校お茶の分教所
昭和5年(1930)、東京音楽学校お茶の分教所に、
邦楽科が設置された。
田中正平を中心とする「邦楽調査委員会」の建議案通り、
謡曲・箏曲・長唄の三科でのスタートだ。
30名の定員に対して、200人も応募があったというほどの反響で、
長唄科の講師は、研精会の稀音家六四郎(3世)と、吉住小三郎(4世)。
当然、小十郎の「研譜」を使った授業になるであろうし、
まずは研精会系の学生が集まっただろう。
一足先に開講していた、杵家弥七(4世)の「三味線女塾」に遅れはとったが、
やっと音楽教育としての長唄が動き出した。
〓 〓 〓
tea break
photo by 和尚
![]()
昭和5年(1930)、東京音楽学校お茶の分教所に、
邦楽科が設置された。
田中正平を中心とする「邦楽調査委員会」の建議案通り、
謡曲・箏曲・長唄の三科でのスタートだ。
30名の定員に対して、200人も応募があったというほどの反響で、
長唄科の講師は、研精会の稀音家六四郎(3世)と、吉住小三郎(4世)。
当然、小十郎の「研譜」を使った授業になるであろうし、
まずは研精会系の学生が集まっただろう。
一足先に開講していた、杵家弥七(4世)の「三味線女塾」に遅れはとったが、
やっと音楽教育としての長唄が動き出した。
〓 〓 〓
tea break
photo by 和尚
