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Channel: 西園寺由利の長唄って何だ!
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稽古場

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きょうはからりと爽やかでしたので、
障子を開けて稽古をしました。
ここからの眺めはなかなかのものですよ。

白砂に桜、笹が回りを囲んでいます。
お弟子さんは庭に背を向けていますが、私の方からはこんな風に見えます。
日本の建物は本当にいいですね。
  

大阪芸大

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きょうは大阪芸大の日です。

曇り空の中、出かけましたが、
学生たちも元気に出てきましたよ。

みんな真面目に三味線に取り組んでいます。
微笑ましいですね。

   こんなのどかな風景の中を学バスは走ります。 
   
   

練習

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きょうは、夕方から来月にあります「長唄協会夏期演奏会」の練習をしました。

われわれ今藤チームは、
郁子氏と長由利が頭で4丁4枚の「吉原雀」を出します。
子分を引き連れての演奏もそれなりに大変ですが、
いい曲に仕上げたいと思っております。

    みんなで揃って、第1回目の練習でーす。
    
  

忙しい一日

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きょうは朝から忙しい1日となりました。

朝の10時から、銀座の長唄協会事務所で新企画の打ち合わせがありました。
朝の10時に銀座に行くというのは、9時過ぎに家を出るということで、
いつもならのんびりと新聞を読んでいる時間です。

10時ジャストに到着したのですが、みなさんお揃いで、ポリポリ…

11時半に終わり、今度は青山のNHK文化センターに移動して、家元の代稽古です。

そのあとは家に帰り、
4時からお弟子さんのお稽古でした。

最近はのんびりと暮らしておりますので、
1日に3つも用事があるというのは結構なストレスで、
くたびれてしまいました。

     フー
     

クーちゃん

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朝ベランダの戸を開けようとしたら、
クーちゃんの鳴き声が聞こえました。

ずいぶんと前から戸が開くのを待っていたようです。
かわいいですよね、隣の子なのに。

開けるとすぐに入ってきて、きょうは珍しく
からだをすりすりしてきました。
どうやらちょっと発情期みたいです。

なでてやるとゴロゴロと気持ちよさそうにのどを鳴らします。

わたしが新聞を広げると机の上に上がってきて、なでろというのです。
パンも食べてますし、ちょっとじゃまなので手で追いやったら、
テレビの前に移動してこちらの様子を見ています。
なかなか頭のいい子です。
    

わたしがいろいろ用事をし始めると、かまってもらえないと分かるのですかね。
ソファーの定位置で、うちの子と並んで寝ていました。
   
じつに不思議なネコです。

遊女

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これは鈴木春信(享保10~明和7・1725~1770年)の浮世絵だ。
1770(明和7)年の作とある。

この頃は富士田吉治の活躍で、長唄が大いに流行りだした頃だ。
遊女はたいてい立て膝で三味線を弾いたものだが、
正座で弾いている所から察すると、
何か手(旋律の)の早い長唄でも弾いているのだろう。

立て膝ではのんびりとした単純な曲しか弾けないだろうから。

しかしこう改まって弾かれると、客もおちおち飲んでなどいられないだろうな。

讃にはこうある。
 とくすみ(遊女の名)
「時鳥 聞くし字明の 夢語」
   

江戸芸者

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これは磯田湖龍斎(1735~1790・享保20~寛政2年)の浮世絵
「風流江都名所八景・新大橋中州四季庵晴嵐」だ。
1776(安永5)年の作とある。

人形町あたりの芸者と客だろうか。
隅田川の川遊び舟を見ながらの宴だが、
芸者の持っている三味線の皮にわざわざ黒い点が打ってあるのが気に掛かる。

これはネコ皮を意味するものだろうか。
ネコの皮は乳首が8つあり、それを半分にして三味線の表と裏に張るから、
片面に4つの干からびた乳首が残る。
それをわざわざ描いたとすれば、位置が変だがこの絵のようになるのだろ。
しかし、この時代には犬皮が主流だったはずなのだが、
もっと調べてみる必要がありそうだ。

    

芸者

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これも磯田湖龍斎(1735~1790・享保20~寛政2年)の浮世絵だ。
1768(明和5)年作で、「風流人倫十二想 妓婦」とある。
妓婦とは芸者のことで、風流な関係の客と芸者という意味だ。
もちろん吉原芸者ではなく、岡場所の芸者。

この絵の三味線の皮にも点が4つ描かれている。
同じ時期の他の浮世絵師の絵には見られないということは、
一体何を意味するのだろう。

遠目からは干からびたネコの乳首など見えないのだが、
「ネコの皮だぞ」とことさら強調して描いているように思えるのは、
やはりこの頃からネコを張るようになったのだろうか。
それにしてもこのおっぱいの位置はおかしい。

   

大阪芸大

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きょうは大阪芸大の日です。

時々キャンパスで過去の教え子に会ったりするのですが、
2年、3年になった彼らはどことなく成長した感じがします。

向こうから声をかけてくれるのも嬉しいものですよ。

       駅のそばにある、スクールバス乗り場。
       電車が着くと学生があふれ、バスはピストン運転になります。
       


芸者

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これも磯田湖龍斎(1735~1790・享保20~寛政2年)の浮世絵だ。

1776~81(安永5~10)年頃の作で、
「今様妓女六歌仙」とある。

美人芸者六人を描いたもののうちの一枚で、
「思い出でて 恋しき時は初雁の なきてわたると人は知らずや」
と大伴黒主の和歌が書いてある。

不思議なことに、この絵の三味線にはネコのおっぱいが描かれていないのだ。
何でだ。

   

芸者

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これは磯田湖龍斎(1735~1790・享保20~寛政2年)の浮世絵
「風流十二支」だ。
掛け軸の絵が蛇なので巳年の図だろう。
1770(明和7)年の作とある。

芸者が三味線箱から三味線を出して調子を合わせているところで、
唄本を広げてている所を見ると、これから稽古をするのだろう。
黒い箱が三味線の箱だが、延べ棹の箱ではなさそうだ。
サイズ的には三つ折れの三味線か。
もう一人の女は前帯の遊女だろう。

それにしてもこの三味線、おっぱいのあとが6つもある!
これもネコの皮なのだろうか。
もしそうだとしたら、あまり引っ張って干していない皮を
ゆるゆるに張っていることになる。
いわゆる皮のゆるんだぼこぼこ三味線だ。
破けにくいが、いい音がするはずはない。

芸者と客

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これは磯田湖龍斎(1735~1790・享保20~寛政2年)の浮世絵
「俳諧夫婦真似えもん」(1770・明和7年)だ。

「真似えもん」というのは、遊び人の浮世之介が妙薬を飲んで小人になり、
岡場所や吉原で色事の修行をするという、
鈴木春信の絵草紙「風流艶色真似ゑもん」の主人公の名前だ。

春信の浮世絵にもこれと全く同じものがあるが、
1770年作ということは、春信に傾倒していた湖龍斎が、春信没年にこれを模写したことになる。

    

品川での遊興を描いたもので、
欄外に「たづね来る 妻の心や一夜○」という俳句がある。
書き込みは以下のようだ。

右下、小人の女「扇ぱちぱち 呂の羽織り きんきんとイヨまた男気 まず先へ」

芸者の唄「魚と舟とは さんさあ 仲良いことよ」

女郎「や ちと上げ申しましょう」
 
客「しんじゅくのうちで よい女郎のある ○てゆこう」

客のつまらなさそうな顔からして、どうやら客はここの女郎が気に入らないようだ。
芸者の弾いている三味線におっぱいが4つ、やはりネコ皮か。

辰巳芸者

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これは磯田湖龍斎(1735~1790・享保20~寛政2年)の浮世絵
「深川八景・仲町の夜雨」(1778・安永7年)だ。

雨の夜、相合い傘でお座敷に向かう二人の芸者。
右の芸者は羽織りを着ている。
羽織りは辰巳芸者のシンボルでもある。

深川では三味線を弾く芸者は縞の着物を着る習わしがあったようなので、
羽織り芸者が三味線方だと分かる。
  

若い衆の抱えているのが三味線箱だが、
6/25日の絵と同じく二つ折りの三味線だろう。
こちらは延べ棹の箱よりも短いので、持ち歩くには便利だが、
お座敷に着いて組み立てるのに少し時間を要する。
その時々で使い分けていたのだろう。

讃には
「相傘の のきもえたも神かけて なみだふる夜の 昔とぞ思う」
と書かれている。

練習

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きょうは6時から家で「吉原雀」を浚いました。

長唄協会用の練習で2度目です。
回数を重ねるたびに、みんなの心が一つの方向に向かうようになるのです。

もちろん馴れて来るというのもありますが、
和気あいあいという空気も大切なのです。

終わった後は郁子氏と近所のあぶりや「なかむら」へ。
ここの肉は本当においしいですよ。

   塩タンはめちゃうまです。
   

茶屋遊び

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きょうは人生初の茶屋遊びをしました。

和尚が友人を接待するというので、
仕事柄、宮川町には馴染みの私がひとはだ脱ぐことになったのです。

食事のあとお茶屋に行くのももめんどうなので、
ふく葉さんのお茶屋「ふじ原」で料理をいただきながら遊ぶことにしました。
お茶屋の料理は基本仕出しですが、なかなかの懐石料理で
じゅうぶん美味しくいただきました。

私を含めて5人のお座敷で、
地方の敏祐さん、芸妓の叶千沙・ふく真莉ちゃん、
2週間前に見世出しをしたばかりの舞妓、君さ代ちゃんと、
ベテランのとし純ちゃんが来てくれました。
   
「こんぴらふねふね」遊び、まずは見本です。
 左から敏祐・叶千沙・ふく真莉姉さん。
 
     
芸妓さんたちとは古いおつきあいですが、
お座敷で会うのは初めてです。
きれいに支度をした姿を見ると改めてすてきだな、と思いますね。

   少しお酒が入った所でとりあえずぱちり。
   左が和尚、そして主客さん。
   
  
   右が出たての君さ代ちゃん。
   

叶千沙ちゃんとツウーショットどす。  
   

  

大阪芸大

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きょうは少々飲み過ぎのからだをひきずって
京都から新幹線に乗って新大阪に。

何しろ13分で着いてしまいますので、
車中でコーヒーと菓子パンを大急ぎで食べたことです。
そしていつも通り、10時半に大学に到着しました。

5時限まで無事レッスンを終え、新大阪駅へ。
券売機でチケットを受け取り改札に向かったのですが、何ごとかあったらしくて、
カメラを構えた報道陣でごったがえしていました。

おまけに私の乗る予定だった新幹線は運休というではありませんか。
ガーン、ですよ。
「何でもいいから来たのに乗って下さい」と駅員がいうので、
とりあえずホームに上がって待っていたら20分ほどで新幹線が入ってきましたので
それに乗ってヘトヘトで家にたどり着きました。
 
    車内焼身自殺だって、外でやれよ。
    

下浚い

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きょうは長唄協会夏期演奏会の下浚いが、国立劇場の稽古場でありました。
11時15分から始まって、終わったのが5時です。
もっともきょうはお囃子入りの曲ばかりで、素の曲はありません。

国立劇場で何かある時は、
帰りに隼町のイタリアンに行くのがコースになっています。
歩いて1分位の所で、リーズナブルでおいしいです。

  エノテカドーロの店内です。
  

 同級生の小山クンと私、美味しい食事をいただきました。
          

  

芸者

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これは磯田湖龍斎(1735~1790・享保20~寛政2年)の浮世絵
「風流芸者姿八景・帰帆」(1773ー75・安永2-4年)だ。
この時代は富士田吉治の活躍で、長唄が大流行りしていた頃だ。
この絵も長唄の唄本に題が書いてある。

神田の同明町の芸者、留伊がモデルのようだ。
「帰帆」というのだから仕事を終え、これから置屋へ帰るのか。
若い衆が二つ折りの三味線箱を手にしている。
    

芸者

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これは磯田湖龍斎(1735~1790・享保20~寛政2年)の浮世絵
「風流芸者姿八景・落雁」だ。
制作年月日は不詳とされているが、1日の絵と同じシリーズなので
恐らく1773ー75(安永2-4)年だろう。

芸者二人が三味線の支度をして、これから座敷へ行く所か。
どちらの芸者が八重さんか分からないが、題には八重の文字が見える。
    
  
二梃とも皮に黒の点が4つあるので、ネコの皮か。
この三味線には不思議なことに、根緒(ねお)がない!
根緒は糸を締めるのに必要なものなのだが、
これを見ると胴に二つの穴を開けて糸を結わえている。
今まで気がつかなかったが、この時代にはこういう三味線があったのだ。
胴に穴があいていると当然音は小さくなる。
あちこちの座敷で三味線を弾いても、お互いにうるさくないということか。

     オレンジの部分が根緒だ。
     

    

遊女

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これは鈴木春信(享保10~明和7・1725~1770年)の浮世絵
「風流雪月花・月」だ。
1768-69(明和5-6)年の作とある。

月を見上げる遊女に三味線を渡そうとしている禿、
(この三味線は根緒が付いている)
出窓の手桶には秋草が活けられている。

讃はこうだ。
「なにとなく 物思いそめて縁ふれば かわらぬ月も 袖ぬらしけり」
  
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