長唄の初期は女形の所作(舞踊)の地(伴奏)
としての役割だったわけだから、雄壮な「石橋」も
艶かしい「石橋」にアレンジされて伝えられてきたわけだ。
それを由々しき事と思う人物が90年後に現れ、能に忠実な「石橋」を作った。
それが杵屋六左衛門(10)だ。
当時はまだ三郎助(4)を名乗っていて、30歳位の学者肌。
名乗りから段切れまで能をほぼそっくりに写した。
例の部分もこのように戻した。
『…あまりに山を遠く来て
雲又跡を立ち隔て
入りつる方も白波の
谷の川音雨とのみ 聞こえて松の風もなし
げに過って半日の客たりしも
今身の上に知られつつ…』
「妻木背負うて斧かたげ
岩根烈しきそば伝い
小笹を分けて歩み来る」
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tea break・海中百景
photo by 和尚
