三味線組歌というのは、短い歌詞に三味線の伴奏をつけたものを
いくつか組み合わせて一曲としたものです。
柳川検校の弟子佐山検校(1666年検校登官)は、破手組をさらに改良し、
やや長文の歌詞に三味線のフレーズを付けるということを考え出しました。
長文だと歌詞に意味が持たせられますので、
歌詞に即したフレーズがつけられるようになるのです。
「飛騨組」と比べるとテンポは軽快で、合いの手もリズミカルになりました。
佐山検校はこれを長歌と称し、江戸に出て吉原の遊女たちに広めます。
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いくつか組み合わせて一曲としたものです。
柳川検校の弟子佐山検校(1666年検校登官)は、破手組をさらに改良し、
やや長文の歌詞に三味線のフレーズを付けるということを考え出しました。
長文だと歌詞に意味が持たせられますので、
歌詞に即したフレーズがつけられるようになるのです。
「飛騨組」と比べるとテンポは軽快で、合いの手もリズミカルになりました。
佐山検校はこれを長歌と称し、江戸に出て吉原の遊女たちに広めます。
