芸者は吉原よりも、岡場所の方が先に発生しました。
そのルーツは歌舞伎からはじき出された踊子です。
芳町の踊子菊弥は深川に移り住み(享保21・1736年頃)、
門前仲町で三味線の師匠を始め、
多くの仲町踊子を育てましたので、
深川は踊子の本場といわれるようになりました。
初期の芸者は踊り子時代のなごりと、お上の目を逃れるために、
町娘と見まごうような姿で出勤しました。
到着すると持参した留袖の座敷着に着替えて酒席に侍るのです。
帰りはまた振袖に着替えます。
この絵は磯田湖龍斎(1735~1790・享保20~寛政2年)の描いた「今様妓女六歌仙」です。
制作年は安永5〜10(1776〜81)年とあります。
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書き入れは小野小町の歌です。
「わびぬれば 身を浮き草の 根をたえて 誘う水あらば いなむとぞ思う」
そのルーツは歌舞伎からはじき出された踊子です。
芳町の踊子菊弥は深川に移り住み(享保21・1736年頃)、
門前仲町で三味線の師匠を始め、
多くの仲町踊子を育てましたので、
深川は踊子の本場といわれるようになりました。
初期の芸者は踊り子時代のなごりと、お上の目を逃れるために、
町娘と見まごうような姿で出勤しました。
到着すると持参した留袖の座敷着に着替えて酒席に侍るのです。
帰りはまた振袖に着替えます。
この絵は磯田湖龍斎(1735~1790・享保20~寛政2年)の描いた「今様妓女六歌仙」です。
制作年は安永5〜10(1776〜81)年とあります。

書き入れは小野小町の歌です。
「わびぬれば 身を浮き草の 根をたえて 誘う水あらば いなむとぞ思う」