吉原の揚屋は宝暦年間(1751〜64年)に消滅し、
最高位の遊女、太夫も自然消滅しました。
そして散茶が繰り上がり花魁という最高位の遊女になり、引き手茶屋の時代になるのです。
客を揚屋に案内する引き手茶屋では、揚屋のような遊興ができるようになり、
遊女屋の二階でも酒宴ができるようになりました。
これは奥村政信(貞享〜宝暦14・1686~1764年)の浮世絵、「吉原江戸町」です。
制作年は不詳ですが、二階で客が遊んでいる所を見ると、揚屋消滅後のものでしょう。
どうやら一階の格子先で遊女を決め、そのまま二階に上がることが普通になっているようです。
右に見えるのは、引き手茶屋から客を案内する提灯を持った男衆。
客の後にいる女は、引き手茶屋まで客を迎えに行った女郎でしょう。
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最高位の遊女、太夫も自然消滅しました。
そして散茶が繰り上がり花魁という最高位の遊女になり、引き手茶屋の時代になるのです。
客を揚屋に案内する引き手茶屋では、揚屋のような遊興ができるようになり、
遊女屋の二階でも酒宴ができるようになりました。
これは奥村政信(貞享〜宝暦14・1686~1764年)の浮世絵、「吉原江戸町」です。
制作年は不詳ですが、二階で客が遊んでいる所を見ると、揚屋消滅後のものでしょう。
どうやら一階の格子先で遊女を決め、そのまま二階に上がることが普通になっているようです。
右に見えるのは、引き手茶屋から客を案内する提灯を持った男衆。
客の後にいる女は、引き手茶屋まで客を迎えに行った女郎でしょう。
