これは鳥居清長(宝暦2〜文化12・1752〜1815年)
の浮世絵だ。
制作年は天明3(1783)年。タイトルは「青楼俄尽し」(せいろうにわかづくし)とある。
俄というのは吉原芸者の祭りのようなもので、踊り屋台を引いて仲の町を練り歩くのだ。
これは京町一丁目の出し物で、鹿島おどりの続き、とある。
船をかたどった大屋台に、
はやしかた大勢とあるからかなりの演奏者が乗っていたのだろう。
三味線・鳥羽屋とめ・えん、杵屋かよ・たよ、の名が見える。
鳥羽屋は常磐津で杵屋は長唄だ。
ジャンル超えの曲だったのだろうか。
の浮世絵だ。
制作年は天明3(1783)年。タイトルは「青楼俄尽し」(せいろうにわかづくし)とある。
俄というのは吉原芸者の祭りのようなもので、踊り屋台を引いて仲の町を練り歩くのだ。
これは京町一丁目の出し物で、鹿島おどりの続き、とある。
船をかたどった大屋台に、
はやしかた大勢とあるからかなりの演奏者が乗っていたのだろう。
三味線・鳥羽屋とめ・えん、杵屋かよ・たよ、の名が見える。
鳥羽屋は常磐津で杵屋は長唄だ。
ジャンル超えの曲だったのだろうか。
