きょうは大阪でOFFです。
天王寺から奈良は30分位で行けますので、
法隆寺に行こうと思っていたのですが、
あまりに寒いので中止しました。
文楽劇場に公演を問い合わせたら
2部が「国姓爺合戦」ということでした。
前から観たい演目でしたので、これ幸いとキップを予約して
時間までのんびりと心斎橋筋を散歩がてら、買い物を楽しみました。
グリコの新しいLEDの看板。
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4時前に文楽劇場に入り、終演は8時半という5段からなる長丁場です。
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「国姓爺合戦」は1715(正徳5)年に
竹本義太夫の遺言により跡を継いだ政太夫のために、近松門左衛門が書いた脚本だ。
政太夫は若干25才、若いし未熟だ。
客は離れ、竹本座存亡の危機に65才の近松が、竹田出雲の発案で一肌脱いだのだ。
通常はスターの太夫が全段を一人で語るものだが、
政太夫の力量をカバーするため、各段ごとに太夫を入れ替え、
政太夫には眼目となる3段目の切と、5段目だけを語らせたそうだ。
これが功を奏し、17ヶ月ものロングラン。
終盤の泣かせ所では、私もはめられたが、まわりの客がみな目頭を押さえていた。
当時を想像しながら心底楽しめた公演だった。
しかし、脚本がすばらしいから観られたのであって、
全体の質(人形遣い・太夫・三味線)は残念ながら、落ちたと言わざるを得ない。
天王寺から奈良は30分位で行けますので、
法隆寺に行こうと思っていたのですが、
あまりに寒いので中止しました。
文楽劇場に公演を問い合わせたら
2部が「国姓爺合戦」ということでした。
前から観たい演目でしたので、これ幸いとキップを予約して
時間までのんびりと心斎橋筋を散歩がてら、買い物を楽しみました。
グリコの新しいLEDの看板。

4時前に文楽劇場に入り、終演は8時半という5段からなる長丁場です。

「国姓爺合戦」は1715(正徳5)年に
竹本義太夫の遺言により跡を継いだ政太夫のために、近松門左衛門が書いた脚本だ。
政太夫は若干25才、若いし未熟だ。
客は離れ、竹本座存亡の危機に65才の近松が、竹田出雲の発案で一肌脱いだのだ。
通常はスターの太夫が全段を一人で語るものだが、
政太夫の力量をカバーするため、各段ごとに太夫を入れ替え、
政太夫には眼目となる3段目の切と、5段目だけを語らせたそうだ。
これが功を奏し、17ヶ月ものロングラン。
終盤の泣かせ所では、私もはめられたが、まわりの客がみな目頭を押さえていた。
当時を想像しながら心底楽しめた公演だった。
しかし、脚本がすばらしいから観られたのであって、
全体の質(人形遣い・太夫・三味線)は残念ながら、落ちたと言わざるを得ない。