(3月2日の続きです)
若衆かぶきの時代は「総踊り」という若衆総出演の踊りがあった。
これは遊女かぶきの形式、「踊る張り店」を真似たもので、
客は(もちろん男)踊る若衆を品定めして終演後連れ出した。
江戸に一番乗り(寛永元・1624年)した猿若座は、
ワキ狂言師杵屋勘五郎の孫、喜三郎が三味線に才能を示し、舞台で弾き始めた。
正保(1644~)頃には美少年の役者たちも三味線を弾くようになり、
猿若座は遊女かぶきのような連れ三味線で売った。
薄化粧の美少年が目にも綾なる小袖を着て、
これまた美少年の弾く連れ三味線に合わせて輪になって踊る。
この総踊りが「脇踊り」といわれるものだったようで、
女踊子もこれを真似ていたわけだ。
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photo by 和尚
若衆かぶきの時代は「総踊り」という若衆総出演の踊りがあった。
これは遊女かぶきの形式、「踊る張り店」を真似たもので、
客は(もちろん男)踊る若衆を品定めして終演後連れ出した。
江戸に一番乗り(寛永元・1624年)した猿若座は、
ワキ狂言師杵屋勘五郎の孫、喜三郎が三味線に才能を示し、舞台で弾き始めた。
正保(1644~)頃には美少年の役者たちも三味線を弾くようになり、
猿若座は遊女かぶきのような連れ三味線で売った。
薄化粧の美少年が目にも綾なる小袖を着て、
これまた美少年の弾く連れ三味線に合わせて輪になって踊る。
この総踊りが「脇踊り」といわれるものだったようで、
女踊子もこれを真似ていたわけだ。
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photo by 和尚