(2月18日の続きです)
元禄2(1689)年、5月
「踊子の屋敷方はいうに及ばず、いずれへも出入法度」という町触れがでた。
踊子とは小姓の姿をした女踊子のことで、
彼らは踊りという芸をするが、その実は酒や夜伽の相手もする売笑婦だ。
お上がお触れを出して禁止せねばならぬほど、市中にはびこっていたのだろう。
事実、吉原には公認の遊女が、湯屋には湯女が、市中には私娼や夜鷹が、
芝居町には色子や陰間などがいるのだから、町を歩けば色だらけで、
江戸の男はいったいどうなっていたのだ。
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photo by 和尚
元禄2(1689)年、5月
「踊子の屋敷方はいうに及ばず、いずれへも出入法度」という町触れがでた。
踊子とは小姓の姿をした女踊子のことで、
彼らは踊りという芸をするが、その実は酒や夜伽の相手もする売笑婦だ。
お上がお触れを出して禁止せねばならぬほど、市中にはびこっていたのだろう。
事実、吉原には公認の遊女が、湯屋には湯女が、市中には私娼や夜鷹が、
芝居町には色子や陰間などがいるのだから、町を歩けば色だらけで、
江戸の男はいったいどうなっていたのだ。
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photo by 和尚