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Channel: 西園寺由利の長唄って何だ!
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脳の玄界灘

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この所、仕事が立て込んでいて、
ちょっと混乱ぎみです。

今日は朝の10時半に家元のお宅に伺い、
11時から「繭の会」の練習が始まりました。

まずは「靭猿」のワキ。
次に「船揃い」の助演組タテ。
そして「英執着獅子」のトメを弾きました。

今度は5時から「今藤同門会」の合同曲「土蜘」の練習。
そして、7時から「娘道成寺」のワキを。
しかも「奥入り」というフルサイズで。

終ったら8時過ぎでした。

脳の集中力には限界がありますよね。
今日はしみじみそれを感じ、へとへとになって帰ってきました。

今月はこんな感じが29日の「三越名人会」まで続きます…

ジュリアスくーん、何とかしてくれい!




カチカチ山−2

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カチカチ山−2

悪知恵のはたらくたぬきは、おばあさんをだまし、
縄をほどかせ、おばあさんを殺してしまいます。

たぬきはそれで人間汁をつくり、剥いだ皮をかぶって、
おばあさんのなりすまし、おじいさんの帰りを待ちました。

何も知らないおじいさんが、
それをうまいといって食べた頃合いをみはからって
たぬきは皮を脱ぎ捨て、「ざまーみろ」といって逃げていきました。

おじいさんがショックで寝込んでいると、
近所に棲むうさぎが心配してやってきました。
おじさんがいきさつを話すと、
うさぎは「仕返しをしてやる」といって飛んで帰りました。

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tea break・海中百景
photo by 和尚

萩岡邸

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今日は「繭の会」の練習のあと、
26日にあります
箏曲との掛け合い「江の島」の練習で、萩岡松韻氏のお宅に伺いました。

世田谷にあります萩岡邸は
ぐるりを土塀で囲んだ広いお屋敷で、
あまりにも古風なたたずまいに驚いてしまいました。

先代からの建物かと思っていたら、当代が30年ほど前に普請なさったのだとか。
たしか当代は50代半ばですから、
20代半ばの青年の趣味とはとても思われない、純日本建築です。

表玄関を入ると、石畳から内玄関に続き、右には稲荷の社、
左はうっそうとした緑の庭です。

内玄関を入ると、能舞台のような舞台があり、
松羽目が描かれています。
この舞台は可動式でいかようにも設定が可能だとか。

その奥が稽古場で、一面のガラス扉から庭が見えます。

2階3階がプライベートスペースなのでしょう。

このようなお屋敷の主が、あのような箏を奏でるのか…
と、納得したことでした。

萩岡邸をあとに、青山の家元宅に戻り
今度は「三越名人会」の「三曲糸の調」を浚い、
新幹線で大阪へ。

今日もへとへとでした。

ジュリアスくーん!


カチカチ山−3

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カチカチ山−3


ある日うさぎが山で柴をひろっていると、
たぬきがやってきたので一緒に柴ひろいを始めました。

そしていっぱい取れた柴を背に山を降りるのですが、
たぬきを先に行かせたうさぎは、火打ち石をカチカチと打って
背中の柴に火をつけました。

大やけどを負ったたぬきが家に逃げ帰ってうんうん唸っていると、
うさぎがやけどの妙薬を持って見舞いにきました。

喜んだたぬきが背中にそれを塗ってもらったとたん、
たぬきは悲鳴をあげて飛び上がりました。

それもそのはず、うさぎが持って来たのは、
唐辛子を練り込んだ味噌だったのです。

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tea break・海中百景
photo by 和尚

カチカチ山−4

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カチカチ山−4


まずは一回目の仕返しをしたうさぎ。
こんどはたぬきを魚釣りにさそいます。

「つり舟を作ろう。たぬきクンはからだが黒いので泥で、
ぼくは白いから木で作るよ」

出来上がった舟で川に出て釣りを始めたのですが、
たぬきの泥舟は溶け出して沈み始めました。

「助けてくれー」と叫ぶたぬきに
「おばあさんを殺したバチが当たったのさ」といって見捨てました。

やがてたぬき沈み、復讐は成功。
めでたしめでたし。

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tea break・海中百景
photo by 和尚 

昔噺たぬき」−1

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「昔噺たぬき」−1

この曲は、杵屋勝三郎が慶応元年(1865)に作った。
狸にまつわる逸話を寄せ集め、歌詞にしたという、
実にふざけた曲で、まじめに演奏するのがはばかられるような内容だ。

「それ 
 伝え聞く 茂林寺の
 分福茶釜のその由来
 怪しくもまた 面白き

 昔々その昔 婆食った爺の狸汁
 縁の下家の骨までも
 広尾の原の狸そば
 延びた鼻毛を頬かむり  
 狸長屋をまわろまわろと
 そそり節

 山で寝る時ゃ木の根が枕
 柴を背負ったら気をつけろ
 
 火の用心さっしゃりやしょ」


たぬき汁ならぬ、ばばあ汁にされてしまった婆さんの骨が
縁の下に隠してあった。
その骨を爺さんが拾った。
広尾の原に棲むたぬきが、延びた鼻毛を結わえて頬かむり。
そそり節を唄いながら、
「火の用心!」と狸長屋の路地を回っているという体。

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tea break
photo by 和尚

東京藝術大学

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今日は上野の藝大に行ってきました。

門は在学時と同じでした!




奏楽堂で、藝大プロジェクト「幕末、その時世界は」と題した催し物があったのです。
主催は東京藝術大学演奏藝術センター。

新しい奏楽堂はりっぱなホールです。


私たちは、この頃活躍した山田検校の「江の島」を
箏曲科教授の萩岡松韻氏のグループと合奏しました。

舞台稽古で山台のセットを調整しています。
右奥の方で立っているのが、萩岡氏。


本番までの間に美校を散策。
アートプラザという、おしゃれなキャフェ風の建物で、
卒業生の作品を販売していました。
そこの庭です。おお、アートだぜ!



国立大学が独立行政法人になってからは、学校も独自の動きで資金等を稼がなければいけないわけで、
いろんな企画を計画するのですね。

「昔噺たぬき」−2

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「昔噺たぬき」−2


次は、
背中に大やけどを負って寝込んでいる、たぬきの源さんを
からかう女郎たぬきという設定。

「オヤ 源さん
 どこへ穴っぺいりをしておいでだえ
 もし ちょっとお寄りなよ
 
 ヨセ ひどいことをするな
 まだ 背中の火傷がなおらねえ
 
 お気の毒 ここに狸のあんぽんたん
 呑んでくだ巻く 
 エゝのうまくさまんだ ばさらんだ
 狸にござる 法印さん」

穴っぺいり、とは女や遊び場にしけ込むことの意。
ここは、すみかの穴蔵で寝込んでいる源さんを
引っぱり出そうとする女郎たぬきが、
「あんたもまったくあんぽんたんだね、これでもお飲みよ」と
唐辛子味噌ならぬ、妙薬反魂丹をすすめる。

それに酔った源さんが、
法印さんのふりをして真言の経を唱えるというおふざけ。

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tea break
photo by 和尚

繭の会

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今日は午後2時から、日本橋の三越劇場で
第71回「長唄 繭の会」がありました。

      同人のお姉様方。
      
      左から時計回りに、今藤長十郎・杵屋静子・日吉小暎・杵屋佐臣・今藤美知・芳村伊十衛氏。


まずは「風流船揃い」を助演者も含めて8丁8枚の
オールキャストで。

次が今藤長十郎×美知氏の「靭猿」。
私はワキを弾かせていただきました。

3番目が芳村伊十衛×日吉小暎氏の「巽八景」。

そして杵屋佐臣×杵屋静子氏の「英執着獅子」。
私はトメを勤めました。


助演者の楽屋風景。

左から、杵屋三澄・岩田喜美子・杵屋六多之氏。
右に移って、今藤郁子・竹内あき・芳村伊四呂の三氏がちょっとだけ。
そして、今藤政子・美知央ちゃんです。

同級生の岩田氏と。


今日も楽しいお仕事を一つ終えました。

「昔噺たぬき」−3

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「昔噺たぬき」−3


次は放送禁止用語の連発となる。
今では歌詞をかえなければ、ちょっと唄えない。

「自体我らは田舎のマラコ(改訂、生まれ)
 月に浮かれて 腹鼓
 うつや うつつの夢の世を
 狸寝入りか アゝラ不思議や
 たちまち広がる 大睾丸(おおきんたま。改訂、大巾着)
 八畳敷きの炉にかけし
 茶釜尻尾を オヤオヤ オヤオヤ振り立てて
 狸囃子の音につれて」
 
魔羅とはペニスの隠語。
「狸の金玉八畳敷き」という諺がある。

もともと日本人の性的価値観はおおらかだったから、
こんな歌詞に何の抵抗もなかったのだろう。

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tea break・海中百景
photo by 和尚

三越名人会

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今日は日本橋の三越劇場で「三越名人会」がありました。

昭和25年から始まったこの会は、
今回がなんと、648回目です。
凄い!の一語ですね。

今回は長唄中堅を中心とした番組でした。


◯杵屋勝四郎×稀音家祐介氏の「角兵衛」
◯舞踊家、吾妻徳弥振付けでの、御子息の踊り「藤船頌」
 地は今藤長十郎×長一郎氏。

◯杵屋巳津也×今藤美治郎氏の「勝三郎連獅子」
◯今藤長十郎×郁子氏の「三曲糸の調」
◯杵屋直吉×杵屋勝国氏の「二人椀久」

以上の5曲でした。

私は「三曲糸の調」のワキを演らせていただきました。
この曲は超難曲で、一生のうちに数えるほどしか演らないし、
もしかしたら一回も演らないで終ってしまう人もいるかもしれない、という曲です。
それにあまり歳を取っても出来ない曲なのです。

基本的に2丁2枚ですので、タテとの信頼関係が大切ですし、
同レベルの技量がないと弾けない曲なのです。


右、長十郎氏、左、郁子氏。


杵屋秀子氏と。


私はこれで、ちょっと一息つけます。
5月はフー、でした。

「昔噺たぬき」−4

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「昔噺たぬき」−4

今度は狸の軽業綱渡り。

「さて さて 
 さてさてさてさて この度の
 お目にかけます 軽業は
 綱のなかばへ 大きな金玉(改訂、巾着)を引っかけ
 これを名付けて たんたん狸の夢の枕じゃ
 
 面白狸の角兵衛獅子
 神変ふしぎの有様は
 納まる御代の噺草
 今もその名や 残るらん」

この曲はこんな歌詞ゆえ、正式の演奏会にかかることは
まずない。
作曲者の杵屋勝三郎はよほどストレスがたまっていたのか、
うっぷん晴らしでやんちゃに作ったとも考えられるのだが…

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tea break・海中百景
photo by 和尚

5月晦日

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5月も今日で終りですね。
明日は衣替え。
夏になります。

今月は超忙しかったのですが、今日は留めの一発。
曙橋の西川扇蔵邸で、舞踊会の下浚いがありました。

私は荻江の「鐘の岬」を弾きます。

この曲は手慣れているので、何とかなりましたが、
今月は本当に大変でした。

帰りに家の隣の寿司屋で一杯。
幸い他に客がいなくて、
大将を独り占めにして、いい時間を過ごしました。

こういう時間が気分転換にはもってこいなのですよね。


これ、ガジュマルという木です。
なんともけったいな盆栽仕立てですが、なんだか癒されるのです。

同門会下浚い

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今日は今藤同門会の下浚いが、麹町の紫山会館でありました。

明日、1時半から日本橋劇場で本番です。
もう26回目ですから、これも結構長く続いていますよね。

今藤の重鎮政太郎氏と、美知氏。両人はご兄妹です。


紫山会館のお部屋でちょっと気取ってみました。
この着物は私の師、綾子先生のもので、文子先生からいただきました。
ご両人とも今は亡いですが…
今日始めて袖を通しました。

「半田稲荷」−1

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「半田稲荷」−1


半田稲荷は葛飾区東金町にある、由緒正しき神社だ。

創建は古く、
和銅年間(708〜714)とも永久年間(1113〜17)ともいわれている。

子供の麻疹・疱瘡、女の安産に霊験あらたかとされる。

享保年間(1716〜35)から文化年間(1804〜17)にかけて
信仰者が増え、江戸はもとより地方からの参詣客が絶えることなく、
神社は賑わったという。


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tea break・海中百景
photo by 和尚

今藤同門会

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今日は午後1時半より、
人形町の日本橋劇場で、今藤同門会がありました。

お天気もよく、会場はおかげさまでほぼ満席でした。

「雛鶴三番叟」「鳥羽絵」「五色の糸」「娘道成寺」「土蜘」の5番でした。

私は、「娘道成寺」のワキと、「土蜘」の2列目タテを演らせていたさきました。

「娘道成寺」の舞台画面です。
今藤の同門会は男女入り交じりが名物なのです。


一門の若手が力をつけてきたことを実感しました。
頼もしい限りです。

楽屋風景。

左上より、政子・政十郎・背中を見せているのが龍市郎くん。

いつもにこにこ政子ちゃん。


調子を整えています、長由利さん。

「半田稲荷」−2

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「半田稲荷」−2

特に前身赤ずくめの衣装を付けた、
代参の願人坊主の出で立ちがユニーク。
赤は疱瘡除けのまじないだとか。

真っ赤な木綿の法衣に赤鉢巻、赤頭巾、赤脚絆。
首からは赤い袋を下げ、赤のくくり猿を背負い、
半田稲荷と書いた真っ赤な幟を手にし、
「葛西金町半田稲荷へ代参り、疱瘡も軽い、麻疹も軽い!」と、
お札を撒きなが江戸市中を回る。

そして銭を貰うと、いろいろな芸をしてみせる。
願人坊主というよりは、一種の大道芸人に近い。

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tea break・海中百景
photo by  和尚

「半田稲荷」−3

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「半田稲荷」−3

この半田稲荷の願人坊主は
江戸の人々によほど人気があったとみえ、
明和3年(1766)、江戸市村座の歌舞伎「江戸名所柳島通」に初登場した。

そして文化10年(1813)、
江戸中村座弥生狂言に、坂東三津五郎(3代目)が出した12ヶ月の所作
「四季詠寄三大字」(しきのながめよせてみつだい)の2月の部に登場したのが、
この曲「半田稲荷」だ。


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tea break・海中百景
photo by 和尚

「半田稲荷」−4

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「半田稲荷」−4


坂東三津五郎扮する、全身赤ずくめの願人坊主が
花道よりひょうきんに登場する。

「ひょっくりひょ
 ひょっくりひょ
 ひょっくり ひょっくり ひょっくりひょ
 ひょっと出でたる修行者の
 たつみ上がりの一調子

 疱瘡も軽い 
 麻疹も軽い
 祈るは葛西金町の
 半田稲荷の幟棹
 意気地に立てる みめぐりや」

●「疱瘡も軽い、麻疹も軽い、信じなされ葛西金町、半田稲荷!」
という、願人坊主の口上が、何とも甲高い一本調子なのだ。
しかし、半田稲荷の代参という意地はある。

みめぐりとは、向島にある三囲神社のこと。
ここは三巡稲荷ともいわれる。

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tea break・海中百景
photo by 和尚

「半田稲荷」−5

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「半田稲荷」−5


三巡稲荷から、稲荷づくしに入る。

「その妻恋に王子さへ
 つい 後朝(きぬぎぬ)の烏森
 別れにあとの一杯が
 杉の森やら 千鳥足
 しどろもどろに 来たりける」

● 女房恋しさに、女遊び。
 そして朝までしっぽりさ
 別れがたくて飲んだ酒、一杯が二杯、二杯が三杯に…
 つい飲み過ぎて千鳥足。
 これで仕事になるのかいな

嬬恋稲荷は文京区に、王子稲荷は北区に、
烏森稲荷は芝に、杉の森稲荷は日本橋にあった。
いずれも江戸で有名な稲荷神社だ。

この時代は、犬の糞と同じ数ほど、
江戸の隅々に、お稲荷さんがあったようで、
半田稲荷の願人坊主はあちこちで歓迎されたのだろう。

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tea break・海中百景
photo by 和尚

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